この記事は、「自然な出会い」をして彼氏彼女を作り結婚したい人向けに書きました。
婚活なんてしないで、ごく自然に結婚出来たら理想ですよね。
でも、現実は厳しい。
私もさんざん苦労してきたから、気持ちは分かります。
この記事を読んで、少しでも前向きな気持ちになってもらえたら嬉しいです。
「自然な出会い」とは何か?
ずいぶん昔になりますが、私がハネムーンに行ったとき、旅先で別のカップル(二十代後半)と同席する機会を得ました。
彼らの馴れ初めを伺ったところ、高校の同級生で、付き合って10年になるとのことでした。
「もう付き合いが長いですから、全然、新婚という感じがしませんよ・・」というコメントが印象に残っています。
学生時代に学校で「自然に出会って」、告白して、じっくり付き合って、適齢期になったら自然に結婚式を挙げる。
婚活でさんざん苦しんだ私にとっては、少し羨ましいエピソードでした。
ところで、あなたにとっての「自然な出会い」とは何ですか?
たぶん、「学校や職場などの日常生活の中で自然な男女協業・交流が行われ、相性のいい者同士が自然に一緒に過ごすようになる」ことだと思います。
「自然な出会い」による結婚にこだわる理由は何か?
- 前述のような自然な出会いをすれば、結婚式・披露宴の時に堂々と馴れ初めを発表できる。
- 自分がモテ側の人間だとアピールできる。
- 「自然な出会い」をあきらめることは、自分がモテないことを認めることになる。
- 恋愛感情は、作為的でない「自然な出会い」でしか生まれないという思い込みがある。
- 自分の金・時間・労力を使って動くのがメンドクサイ。
こんな所でしょうか?
次のようなツイートに共感する人も多いでしょう。
婚活っていう概念自体が不自然なんだよね、薄々気付いてはいたけど。好きな人もいないのに結婚したいから好きな人探すって無茶苦茶な話だよな。みんなそんなことわかった上でそれでも結婚したくてただ待ってるだけじゃ何も起こらないし出会いもないから頑張ってるんだよね。
まじで結婚って何???— 澪 (@mio_u_u_) June 13, 2021
「自然な出会い」はどこにある?
共学の高等学校を例に考えてみましょう。
同じクラスであっても、授業中に男女の交流をするわけにはいきません。
何かの委員会活動に参加すれば交流の機会はありますが、積極的にたくさんの役割を引き受けない限り、自分の好みの人と出会う確率は少ないでしょう。
部活だって、運動部なら実際の活動は男女別々です。
男女同数くらいで一緒に活動できる文化部ならどうでしょうか?
ある程度の人数が揃っているなら、出会って交際に至るチャンスはあるかもしれません。
生徒会とかは穴場かも・・?
しかし実際に共学の高校でも、彼氏や彼女を作れるのは少数派だと聞きます。
学生さんだって、すべてを自然に任せていたら、なかなか良い人には出会えないのではないでしょうか?
直感で「この人素敵!」と思っても、話をする機会がなかなか得られず、遠くから見てるだけ・・
友達に相談しても間接的な情報しか入ってこない。
やむなく第三者の力を借りて、人のいないところに呼び出してもらって無理に告白したり、唐突にラブレターを渡したり、バレンタインでいきなりチョコを渡して相手をびっくりさせるなんてこともあるようです。
まあ、受け取った人は悪い気はしないでしょうが、こういう出会いを自然というのでしょうか?
もちろん、勇気ある行動に対して敬意を表しますが、思いっきり不自然で作為的ではありませんか?
社会人が婚活をするのと同じく、学生さんだって多くの時間と労力をかけて頑張っているのだと思います。
「自然な出会い」の場では不自然な活動が普通である?
学校での「自然な出会い」を例に挙げましたが、本当の意味で偶然に運が舞い降りてきたような出会いは稀でしょう。
好感を持てる相手が現れたら、思いっきり作為的で不自然な行動を取ろうとするのが人間としての自然な行動です。
職場だって同じです。
社会的責任を最優先にしなければならない職場で、もっとも私的な恋愛行動を実行するというのは、とても不自然だと思います。
周囲に対してとても気を遣うし、うまく事が運ぶようにするための労力は半端じゃないでしょう。
うまく行かなかった場合のリスクが頭をよぎっても、それでも実行したいのはナゼでしょう?
「自然な出会い」でロマンチックだから、ですか?
一般に「自然な出会いの場」と考えられている学校や職場で恋愛しようとしたら、作為的で不自然なことをするのが普通ではないしょうか?
なのに、結婚相手探し自体が目的化された状況(=婚活)はイヤなのですか?
でも、職場恋愛はもちろんですが、学生さんだって多かれ少なかれ将来の結婚願望が頭の隅にあるのではないでしょうか。
女性は男性よりも精神的に大人ですから、なおさらです。
広い意味では、日常的な「自然な出会い」も婚活と呼べるのではないでしょうか。
自分の婚活体験
私が二十代の半ば頃、彼女はおろか女友達の一人もいないことを心配して、親が結婚相談所の利用をすすめてくれました。
モテないくせにプライドばかり高かった私は、猛烈に反発しました。
「人間の情報をデータベース化してお見合いマッチングさせるようなシステムは、それ自体が社会の劣化、精神的貧困を象徴している。そんなものを利用するほど私は堕落していない。馬鹿にするな!」みたいな趣旨を述べたと記憶しています。
今考えれば世間知らずの若造の戯言だったのです。
歳を重ね、現実の厳しさを知るにつれ、ついに、結婚相談所の利用をせざるを得なくなりました。
モテないがゆえに婚活せざるを得ない。
屈辱で恥ずかしくて、婚活してる事実は誰にも言えませんでした。
だから、日常生活の中で「自然に出会いたい」という人たちの気持ちはよく分かります。
でも、社会のニーズに応えて人間の知恵を結集して作り上げた婚活サービスシステムを利用してよかったと思っています。
私は、女性がどういう生き物かすらも知らなかったので、婚活では人一倍苦労しました。
今の妻に出逢うまでに何年もかかってしまいましたが、人間的に成長するために避けられない過程だったと思います。
不慣れなことに取り組んで、試行錯誤を繰り返さない限り、本当の自分の姿に気付けないんだと分かりました。
婚活という「自然な出会い」を楽しもう
日常生活での「自然な出会い」がない人が行っている婚活は、自然な出会いの場だと思います。
日常生活での作為的な出会いを「自然」と表現するなら、結婚相談所での出会いも許容すべきでしょう。
素人が自力でやるか、結婚のプロであるカウンセラーのサポートを有料で活用するかの違いがあるだけです。
生涯の伴侶を見つけるという行為は、それが何であれ、自分が生き延びるための生存競争という側面を持っています。
白馬の王子が天から舞い降りてこないなら、自分の頭と体を精一杯使って、最適な方法を考え出さねばなりません。
状況に応じて柔軟な対応ができる人間、適応力がある人間が生き延びるのです。
『最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である』
(チャールズ・ダーウィン)
どうか現実を直視して、勇気をもって、日常生活での「自然な出会い」がベストという自分の思い込みを見直してください。
婚活というのは、とても人間的で自然な行動です。
負け組のような卑屈な気持ちだと、モテないオーラが全開になってしまい誰も近寄ってきません。
胸を張って堂々と婚活してください。
最後に:
「不自然な出会い」の代表格として一部の人たちから忌み嫌われている結婚相談所。
でも、良いところもあるんです。
有料ですが、結婚のプロであるカウンセラーのアドバイスを受けながら、条件が合う人たちとアポを繰り返し、真剣交際し、成婚にたどり着く。
入会審査は厳重ですから安全性は担保されており、試行錯誤(PDCA)を効率よく繰り返せます。
お見合い以外にも、相談所主催で気軽なパーティなども行っており、出会いのチャンスは多様です。
出会う相手はみんな結婚相手を探している人たちなので、話が早い。
結婚相談所というのは、実はメリットの宝庫。
マッチングアプリで時間を浪費するのが嫌な人は、是非とも検討してください。
どこの結婚相談所にすべきか分からない?
そういう人は、まずは情報収集から始めましょう。
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ご多幸をお祈りいたします。
以上